フランケンシュタイン シェリー

批評理論入門に入る前に、この本で題材とされているフランケンシュタインの小説を読んだ。正直なところ期待以上に面白く、そして読みやすい物語であった。むろんフランケンシュタインの名を聞いたときには小説よりは映画のイメージのほうが強く喚起されるであろうが、映画に劣らず素晴らしい小説であることをここに述べておく。多くの人が小説版を読んでいないだろうが、ぜひとも未読者におすすめしたい小説の一つであった。さて、この衝撃的な内容の物語が、どのように読み解かれていくのか。まさにこの答えは次の本批評理論入門で明らかにされるだろう。題材となる本を読んだことで、次の本がこんなにも待ち遠しくなるものだとは思わなかった。早く読み解いていきたいと思うのだが、はやる気持ちを抑えてフランケンシュタインを読む中で気になった点や疑問に思った点、此処が素晴らしいと思った点を少しばかりあげておこうかと思う。まずフランケンシュタインと怪物に大きな焦点が当てられていることは間違いがない。書簡体小説という形式も読者を物語に引き込ませる技法として役立っている。事実ゆっくり読んだつもりでも読了までに一日と掛からなかった。そして十分すぎるほどの欧州の風景描写についての問題もある。確かに美しい自然の描写が物語の中での役割を持っていたのだが、幾分冗長と思える部分もいくつかありもう少し改善することが出来たのではないかという思いにとらわれる。また、それらの描写が詩的な部分を含むことが多かった。さらに主要な人物二人の細かな心情描写と物語自体の流れについては多くの議論をさく必要があるだろう。フランケンシュタインと怪物の対比の考察から多くのことが分かるかもしれない。それにしても本当に面白い小説であった。人生で読める本の数など高が知れている。だからこそ素晴らしい作品に出会えた時の喜びは何物にも代えがたい。これからも傑作と呼ばれる本たちに巡り合っていきたいものだ。

1冊でわかる 文学理論 ジョナサン・カラー

200ページほどで文学理論の概観を述べている。全体的に分かりやすく入門書としては非常に良かった。ただ部分部分の言説で分からないところがあったため、他の文学理論の本をある程度読んでから、またこの本に立ち返ってみたいと思う。次の本は批評理論入門の予定だ。

No.16 アメリカン・スナイパー クリント・イーストウッド

気になった点が4点あったのでメモしておく。聖書・子供の殺害シーン・砂嵐を用いた戦闘シーン・映画のラスト(スタッフロール含む)である。物語の流れは普通の映画の流れであって、別段新しいことは無かったが、これが史実に基づいていることに注意。つまり単純なフィクションでもノンフィクションでもない。

聖書については、物語の冒頭で教会から手に入れそれから最後の戦闘シーンで落とすまでクリスはずっと持っていた。聖書が何かのメタファーなのか。冒頭での人間には三種類しかいないという話や、聖書を落としてアメリカに帰ってきてから心に傷を負った姿が描かれていることがヒントとなる。はたしてクリスは神を信じていたのだろうか。物語の中盤でクリスが仲間に胸ポケットの聖書は弾除けなのかと尋ねられる。それは同僚がクリスが聖書を開いている所を見たことがなかったからである。

子供の殺害シーンは衝撃だった。他の映画ではなかなか見ることは無いように思われる。電気ドリルで子供の足や頭をえぐる所などはある意味で心に残る場面であった。また、砂嵐で視界が悪くなるのは今までの夜の闇で視界が悪くなることの代わりになる手法ではなかろうか。ただし使いどころは難しいかもしれない。

映画のラストは実際の映像を織り交ぜてあって、これが史実に基づくことを強く意識させられた。しかしなぜクリスが殺されたのかの説明もなく単純なドキュメンタリーではなさそうだ。それからスタッフロールに音楽がついていない映画は初めて見たかもしれない。以上を鑑みるに従来の丁寧な物語展開に新しい手法をちりばめた作品といえるだろう。

今回はDolby-atomsで見たのだが、総合的に見てあまり従来のシアターと変わりがないように思えた。最初は戦車の音が非常に空間的に大迫力で聞こえたが、だんだんと慣れてしまったからなのか、それとも銃撃戦の音で耳が麻痺してしまったのか分からないものの、最後には先にも述べたように何か特別なものがあると強く言えない状態になってしまった。もしかしたら、もっと純粋な音楽系の映画ならばもっと効果的に音響が楽しめるのではないか。予告編であったセッションなどはそのよい例となるかもしれない。機会があればぜひとも見に行きたいものである。

追記 最後の戦闘で相手の狙撃兵を打ち殺すところのスローモーションや大げさな音楽は使い古されているように感じて、逆に陳腐なものに見えたがどうだろうか。それからこれはアメリカ人が見るのと我々が見るのでは違う印象を与えると思うが、この点についてはどうだろうか。そもそも、史実に基づいた創作(ファクションという言い方はそもそも適切か)に対する解釈の仕方とは。

シールズの訓練場面は昔見た動画を思い出して少々元気が出た。

視覚文化「超」講義 石岡良治著

映画理論の最先端として期待して買ったこの本であったが、正直なところ期待外れというほかがない。本人はうまくまとめたつもりだろうが、全5回の講義もまとまりがなく、論旨があちこちに飛んでいて非常に没入しにくい本であった。これは注釈の関係性の薄さも手伝っているとは思うが、もう少し構成や理論について理路整然とした文章を書くべきではないだろうか。ただ、すべて駄目だというわけでは無く、ところどころ現代の視覚文化を考察する上でのヒントになるような要素もないわけでは無かったが、やはりその頻度も少なく自分としては満足のいかない本となってしまっている。